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Reise der Hoffnung ジャーニー・オブ・ホープ

スイス・トルコ映画 (1990)

この映画の紹介作業を始めた2018年8月27日、奇しくも朝日新聞ディジタルに、「『不法移民』決死のアルプス越え/凍傷だらけ、山に遺体」という記事がネット上に出ていた。イタリアからアルプス山脈を越えてフランスに入ろうとする「不法移民」の話だ。この映画もテーマは同じ。コラー監督が、30年前の1988年10月15日の新聞記事を読んで目を奪われたと映画のパンフレットに書かれている。ネット上で情報を探していたら、次のような記述(ドイツ語)があった。「1988年10月、スイスの山岳地帯で起きた悲劇についての報道。トルコの少年(Seyhit Enhas)は、両親(Ali EnhasとZeynep)と一緒にスプリューゲン峠を越えてスイスに入国しようとして凍死した。父は、南部アナトリアのカフラマンマラシュ出身の42歳の農夫で、過失致死の疑いでトルコに送還され、逮捕・尋問を受けた後、子供の埋葬を許された」「1989年1月、イタリア人とトルコ人からなる11人の違法移民斡旋業者が逮捕され、8人が有罪となった」。前半は、監督が映画化を決心した内容そのもの。後半は、映画では紹介されない事後談である。スイス人のコラー監督は記事にショックを受け、トルコのシセコグル女史に脚本への協力を依頼し、この類い稀な名作が誕生した。映画では、父親はハイダル、少年はメフメット・アリという名になっている。そのアリを演じるのが、撮影時恐らく10歳だった1979年生まれのエミン・シヴァス(Emin Sivas)。一番目立たない母親のメリエムと3人でタッグを組んで「違法移民」に挑戦するのだが、実直で無表情を通す父と違い、あちこちで笑顔を振りまいて誰にでも好かれる少年を演じ、それが映画の悲劇性を高めてもいる。この作品は 1991年のアカデミー外国語映画賞(スイス出品)を受賞しているが、会話の大半はトルコ語(他にスイスドイツ語とイタリア語)。日本での発売はビデオのみ。

トルコ東南部アナトリアに代々住んで牧羊を営んでいる一家のハイダルは、山羊や羊を飼うだけの貧しい生活に不満を抱いている。外国に行き、金持ちになって戻ってきた人々を見ていることも一つの要因だが、直接の動機は、親しくしてきた従弟が実際にスイスに行き、希望に満ちた絵ハガキを寄こしたこと。ハイダルは、父の反対を押し切り、すべてを売り払って旅費にし、妻のメリエムと2人で、7人の子供は残したまま出かけることにする。偽造パスポートの手配も済み、出かけるばかりになった時、ハイダルの父は、息子を1人連れて行くよう強く諭す。この善意から出た「いらぬお節介」が、ハイダルのその後を予測不可能なものに変えてしまう。同行することになったのは、一番末っ子で一番元気なアリ。3人は長距離バスでイスタンブールに向かう。そこでハイダルが会った違法移民斡旋業者は、「予期せぬ3人目」が一緒だと知ると呆れて見放すが、ハイダルの強い希望で、3人をナポリまで密航させる。そして、組織の拠点があるミラノまでは、トラックに便乗して向かうよう船員に指示する。3人が、たまたま乗ることになったトラックの運転手ラムゼルは、見かけによらず善良で子供好きな人間だった。アリとラムゼルはすっかり仲良しになる。そのまま、ラムゼルのトラックでスイスに行こうとしたが、国境で見つかりミラノまで戻される。そこで会った組織のトゥルクメンは、移民を喰い物にして暴利を稼ぐ根っからの悪人だった。ハイダルは、国境越えに法外な追加料金を請求される。同胞の好意で何とか資金を調達し、一家3人を含む12人のトルコ人は1台のバンに押し込まれ、スイス国境のスプリューゲン峠に向かう。峠の手前で下ろされた後は、徒歩でのアルプス越え。同行予定だった山岳ガイドは、悪天候を理由に無謀な登山に反対し、トゥルクメンらによってリンチを受ける。結局、12人はガイドなしで、道なき道を峠目指して向かうことになる。10月の半ばのスイスでは、標高2000メートルを越える峠付近には大量の積雪がある。一行が、国境検問所の近くまで到達した時、運悪く、気配を感じた警察犬が吠え出したことから、峠まで来ていた12人は蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。ハイダルとアリの父子は、それまで一緒だった母を含む4人の女性とはぐれ、深い雪の中で寒さに凍える。犬に直接追われた1人は警備隊に捕まり、母を含む5人はスイス側の山麓の町に辿りついて保護される。警察は、残り6人、うち子供1人に遭難の恐れがあるため、非常事態の体勢を取るが、アリを抱いたハイダルは、どうやっても見つけてもらえない。翌朝になって、アリは低体温で意識がなくなり、ようやく通りがかった車に助けられて医者の元に運ばれる。しかし、その後のハイダルを待っていたのは、最悪の結末だった。『希望の旅』と題された映画は、「希望」とは何かを問いかけて終わる。なお、日本語字幕の元となった英語字幕は785行の台詞しかない。しかし、今回参考にしたイタリア語字幕は830行の台詞がある。その差は、省略された台詞の多寡に起因する。映画の効果の上で、敢えて台詞のない場合もあるが、なくては困る部分まで英語(日本語)字幕はカットされている。写真は、近い将来、全面変更の予定。

エミン・シヴァスはトルコ人の子役だが、どう見てもトルコ人には見えない。観ていて何となく既視感があるのは、私のお気に入りのフランスの名子役ジュール・シトリュク(Jules Sitruk)にどことなく似ているからか? 下の写真で、上段はエミン・シヴァス、下段は『バティニョールおじさん』の時のジュール・シトリュク。
  
  

ここで、個人的話題を一つ。私は海外旅行はどこでもレンタカー。トルコ東部で道に迷い、谷あいの細い山道を無理矢理進んでいたら、突然行き止まり。幸い近くに4人のトルコ人がいたので、車を持ち上げて180度回転してもらった(感謝、感謝!)。その時に撮ったのが下の写真〔もちろん、後で郵送しておいた〕。4人の親切な人たちの表情は、少年を含め如何にもトルコ民族。
  


あらすじ

1988年、トルコ東南部アナトリアのカフラマンマラシュ〔映画ではマラシュとしか言わない〕の郊外にある小さな村の小さな広場で男たちが輪になって祈りを唱えている。行われているのは、トルコで最も大切な年間行事の一つ犠牲祭〔Kurban Bayramı〕。年によって開催日は移動するが、1988年は7月24~27日がその期間だった。牛を犠牲にすることが多いが、ここは小さな村なのでもっと安い羊が使われている〔牛の1/3ほどの現地価格〕。羊が解体され、宴会となり、踊りも始まる。その片隅で、映画の主人公ハイダルが、隣に座った従弟に、「心配させるなジェマル、手紙書けよ」と話しかける。「ああ、そっちこそ待たせるなよ」。「スイスのビザは取れたのか?」。「あの男は、気にするなって言ってた」。「信用できるのか?」。「危険を冒さなきゃ、川は渡れない」。その時、ハイダルの長女が飛び込んでくる。「父さん、母さん! ウチの子たちが 線路で度胸試しを!」。ハイダルは、妻メリエムに手を引っ張られて席を立つ(1枚目の写真、矢印)。村の外れの何もない平地を横切る一直線の単線線路。蒸気機関車が驀(ばく)進してくる。そのはるか手前で、村の子供たち5人がレールの間にうつ伏せになっている。うち1人はハイダルの次男だ。その先頭に末っ子で三男のアリが割り込む(2枚目の写真)。汽車はどんどん近づいてくる(3枚目の写真)。こうした光景は、他の映画にも登場する。「どのくらい接近するまで頑張れるか」の度胸試しだ。従って、親たちが駆けてくると、みんな線路から逃げ出す。
  
  
  

しかし、アリだけは、レールにしがみついて兄が「やめろ! 来い!」と体を引っ張っても動こうとしない。「いやだ、動くもんか」。間に合わないので、兄は逃げ出す。アリはレールの真ん中にうつ伏せになり一旦顔を伏せるが、思い切って顔を上げる。アリの強さが分かる印象的な場面だ(1枚目の写真)。それでも、蒸気機関車が間近に迫ると顔を砂利に付ける。その上を機関車が通っていく(2枚目の写真)。列車が通り過ぎた後のアリはショック状態。父が急いで抱き起こすが、意識が朦朧としている(3枚目の写真)。そんな息子を、父は「このろくでなし、何て奴だ! 母さんを見ろ! 心配ばかり かけおって!」と叱る。
  
  
  

しばらく後。大量の羊の群れが村への野道を埋め尽くしている。その中を、かき分けるように、馬に乗ったハイダルが町から戻って来る。ハイダルは同居している両親に挨拶もせず部屋に入って行き、着替えをすると、家の近くの丘に行き、不毛の原野を眺めて考え込む。その日の夜。部屋は、子供たちと一緒のザコ寝状態。そんな中でハイダルは、「お前を連れて行った方がいいと、言われた」と、今日町で聞いた話を伝える。「家族の方が、受け入れられ易い」。メリエム:「なら、子供たちも一緒に」。「バカ言うな。そんな金がどこにある?」。「子供たちだけ置いていくの?」。ハイダルの返事は、「ムスタファは大人だし、ファトマも結婚できる。親爺たちだっている」というもの。「子供たちは いつ呼ぶの?」。「さあ、分からんな。すぐか、少し後だろ」。ある日、父が馬で鋤を引いていると、アリが、走ってくる。「父ちゃん、見て見て! ジェマル叔父ちゃんから ハガキだよ」〔正式には従叔父=アリの祖父の兄弟の子供〕。父は、アリにハガキを読ませる(1枚目の写真、ハガキの裏はアルプスの写真)。『ハイダル様。俺たちは無事着いた。ムスラムとかみさんは、仕事をみつけた。俺たちはまだだ。ここは 本当に天国だ。山羊がバターを出すだろう。ヨーグルトもマラシュのアイスクリームのように硬い。山さえ越せば問題ない。アッラーのご加護を。ジェマル』。祖父は、「仕事は あったのか?」と尋ねる。「じき始めるそうだ」。「女房も働くのか?」。「もちろん。それが?」。祖母も心配そうに訊く。「大きなお腹で働くのかい?」。メリエムは「私なら躊躇しないわ」と援護。しかし、祖父は「工場で働くと、命を縮めるし早く老け込むぞ」と反対を露(あらわ)にする。「何が不満なんだ?」「そんな金が どこにある?」とも。ハイダルは、「馬と牛を売るつもりだ」と答える。「息子たちに荷車を牽かせるのか?」〔英語字幕、及び、それを使用した日本語字幕では、「脱穀はどうする?」となっているが、間違い〕。「うまく行けば、必要なくなる!」。「お前の考えは 甘すぎる!」。「どこが甘いんだ!」。祖父は手に1本の草を持ってハイダルの前に立つ。「草には みな根がある。動物を売れば、お前はこの草以下だ。お前には 根も何もなくなる」(2枚目の写真、矢印)。そう言うと、草を息子に向かって投げ捨てる。厳しい戒めだ。しかし、ハイダルには馬耳東風。一方、アリは、お気に入りの黒い山羊にジェマルのハガキの写真を見せている。「父ちゃんは ここに行く。この草を食べりゃ 乳がいっぱい出るぞ。これ お前の小屋かも。素敵だろ?」(3枚目の写真)。しかし、山羊はハガキを食べ始め、それを止めなかったところを父に見つかり、厳しく叱られる。
  
  
  

別の日、ハイダルは、馬に2頭の牛を牽いて家を出て行く。祖父は、「安売りだけは するな」と声をかける。あきらめの境地だ(1枚目の写真)。3匹とも売り、鞍だけ担いだハイダルは、菓子屋に入り、「スイスのチョコレートは幾ら?」と訊く。「2万です」〔1988年の9月1日のトルコリラの為替レートを元に現在の日本円に換算すると約1800円〕。歩いて家に戻ったハイダルは、子供たちに買ってきたチョコレートを見せる(2枚目の写真、矢印はチョコ)。長女には、「母さんの代理をよろしくな」とペンダントを渡し、長男には「弟と妹の世話を頼む」とナイフを渡す。極め付きは妻に買ってきたトルコ風の金の極細ブレスレット(3枚目の写真)。
  
  
  

次のシーンでは、持っていた羊を 引取りにきた業者に全頭売る。アリと兄も羊を移動させるのを手伝う(1枚目の写真)。しかし、最後に残った大好きな黒い山羊が小屋から連れ出されそうになると、2人して、「その山羊はダメ!」と反対する。それを見た父は、「それは、置いとけ」と売らずに残す(2枚目の写真)。小型トラックに乗った羊は全部で20頭くらいしかいない。こうして、手持ちの家畜を全部売ったハイダルは、妻と一緒にカフラマンマラシュに行く。そこには、斡旋業者が待ち構えていて、チャイ〔トルコ茶〕の店の2階に2人を招じ入れる。ハイダルは、言われた通り200万リラ〔19万円〕を持参していた。相手は、「信じるよ。数えない。信頼が肝心だからな」と言い(3枚目の写真、矢印は札束)、ハイダルが持ってきたパスポート用写真の出来栄えを褒める。そして、「この男がパスポートをくれる。船の切符も。すぐ出国だ。両替もしてくれる。この国の金は無価値だ」と説明する〔当然、偽造パスポート。スイスのビザはない〕。「2週間後、イスタンブールで」。最後に、付け加える。「俺なら、もっと金を持って行く。100万か200万。あっちは物価が高い」。ハイダルにとっては大変な難題だ。
  
  
  

せっぱ詰まったハイダルは、隣の土地の所有者と交渉する。「頼む、この土地を買ってくれ」。「狭すぎる。何に使える?」。「旅費が足りないんだ」。「それなら買おう。隣人だからな」。「ありがとう」(1枚目の写真)。「構わんさ。幸運を祈る」。それを遠くから祖父が苦い顔をして眺めている。土地を売ったお金を持ち帰ったハイダルが札を数えていると、妻が「私、行かない」と言い出す。「準備は終わってる」。「子供を残して行けない」。「子供たちは、ここに残すしかない。親爺たちに任せるんだ。パスポートに登録してないしな」〔パスポートは子供1人1人に必要なので、この認識は間違い〕。そして、「メリエム、現実的になれ。準備は終わってる。行くしかない。有り金全部はたいたんだぞ」と迫る。「あんた、お金の話ばかりじゃないの!」。「頭を冷やせ。全部売ったんだ。俺たちにあるのは、この家とこの金だけだ!」(2枚目の写真、矢印は札束)。祖父はハイダルを呼んで諭す。「嫁の言う通りだ。息子を一人連れて行き、学校にやり、一人前にしろ。お前は根なし草だ。新しい根を生やしてくれる子が必要だ。その子が、家族を救ってくれるだろう」(3枚目の写真)〔善意と無知から出た最悪の助言〕。「どの子を選べば? みんな同じに見える」。
  
  
  

ハイダルは 誰を連れて行くかで考え込んでいる。その様子を、5人の子供たちが石積みの塀の後ろから見ている(1枚目の写真、矢印はアリ)。祖父は男の子と言い、5人の中にいる男の子はアリと右端の次男だけなので、選択肢は2人。問題は即座に解決した。何にでも興味旺盛なアリが、父の様子が気になって1人だけ出てきたのだ(2枚目の写真、矢印)。アリは、一旦しゃがみ込むが、それに気付いた父が手招きしたので、父のいる木の下まで行くと、膝の上に座る。これで確定。父は他の4人にも「来い」と手で合図する。アリは、絵ハガキのスイス・アルプスの写真を嬉しそうに見つめる(3枚目の写真)。
  
  
  

アルプスの写真が拡大されると、場面は早朝のハイウェイを走る長距離バスに変わる〔9月中~下旬〕。中に乗っているのは、アリとその両親。カフラマンマラシュからイスタンブールまでは陸路で約1000キロ。時速100キロでも10時間はかかる。次のシーンでは、窓の外は明るくなっている。アリが、ペプシコーラの缶のプルタブを引っ張ろうと頑張っている〔当時のプルタブは切り離し式/2人用の席に3人で乗っているのでアリの切符は不要?〕。父:「そっとだ」。母:「こぼさないでね」。アリは一気に飲む(1枚目の写真)。斜め前の席に座った男の子が、それを羨ましそうに見ていて、母親に「僕にもペプシ買って」と頼むが、返事はダメ。一方、4列後ろに座っている男性は、チラチラとハイダルたちを見ている。それに気付いたハイダルは、妻に「あの男、俺を見てる。誰なんだ?」と声をかけ、さっそく、好奇心一杯のアリが立ち上がって覗き、母に制止される。昼間になって走る道路は、なぜかハイウェイから片側1車線にレベルダウン〔カフラマンマラシュから離れるにつれ幹線道路になるので、「なぜ?」としか言いようがない〕。途中の休憩所で、アリはまたコーラを買ってもらい、父が「俺にも飲ませろ」と言うのを「あげない」と押し切り、全部飲み干す。その結果は、「おしっこ」。母:「我慢なさい。すぐ停まるから」。「もれちゃう」。父は「こらえるしかないな」とすげない。「ムリだよ」。「今すぐは無理だ」。前の席の男の子は、ザマミロとニヤニヤ。アリは手で股間を押えて必死の形相(2枚目の写真)。ようやく停まってくれたバスから飛び降りると、一目散に崖まで走って行って放尿する。様子を見に来た父に、「樽ごと飲んだみたいだな」と言われて笑い声を上げる。あくまで明るい子だ。目の前に広がる水面を見て、「父ちゃん、これ海?」と訊き(3枚目の写真)、長く続く放尿を、「違うが、そのまま続ければ、海になるかもな」と皮肉られ、また笑い声〔地図を見ても、ルート上(向かって右側)にこんなに大きな湖はない。私が撮影した4枚目の写真(黒と白の山羊の放牧がトルコらしい)は、ベイシェヒル湖(琵琶湖とほぼ同じ)だが、想定ルートからは外れている〕
  
  
  
  

一家はとうとうイスタンブールに到着する。港を行き交う多くの船。父は、「ほら坊主、これが海だ」と教える。「すごいや」(1枚目の写真)。父:「ヤーサルに会わないと」。指定された場所に行くと、同じバスに乗っていてハイダルをチラチラ見ていた男が建物から出てくる。大きな鞄も持っているので、同じ目的に違いない。そして、ハイダルと斡旋業者との会話。まず、「これがパスポート」と2つ渡される。当然、アリの分はない。「奥さんは?」。「外だ。他には?」。「船の切符。それに1000マルク〔89万リラ/8万4千円〕」。「スイス・フランじゃ?」(2枚目の写真、矢印はパスポート)。「不満なのか? マルクだぞ。150万リラだ」。「100万じゃないのか?」。「マルクは どんどん上がってる。要らんのか?」。ハイダルは仕方なく100万リラ分のマルクを買う。この業者が如何に悪徳かが分かる。マルクとリラの両替は1988年の9月でも10月でも変わらず1マルク=893リラ。だから、1000マルクの両替に150万リラを要求するのは、実勢レートの1.68倍の暴利だ。アリは、窓から2人の様子を窺っている(3枚目の写真)。
  
  
  

業者がハイダルを船着場まで連れて行く。途中で、「ミラノに着いたら駅に行け。紙に書いてある通りにするんだ。そしたら、紙は捨てろ。必ずだぞ」と念を押される。「あそこに船が見えるだろ? あれに乗ってもらう」(1枚目の写真、矢印はハイダル、右が業者、左には母子も映っている)。柵まで送って「じゃあ、良い旅を」と言った時、アリが「出発するの?」と訊いたので、事態は一変する。「それ誰だ? 連れてくつもりか? どうやって乗船する? 切符もパスポートもなし。不可能だ」(2枚目の写真、矢印はハイダル)〔この時乗船する予定だった船はジェノヴァ行き〕。業者は「呆れた奴だ」と捨て台詞を残して去って行く。妻メリエムは、「話してなかったの?」の困惑。ハイダルが「坊主は置いていくしかない」と非常識なことを言い出すと、「なら、私も残る」と当然の答え。「何とかしなさいよ。あなたが悪いのよ」。結局、3人で業者の所に行くことに。「方法はあるんだが、危険が伴う。どうする?」。「もう、引き返せない」(3枚目の写真)。業者はすぐに電話をかける。
  
  
  

その日の夕方、業者は一家をタグボートに乗せて保税区域のコンテナ埠頭に連れて行く。もちろん違法行為だ。ハイダルは、そこで業者と別れ、仲間が3人をコンテナまで小走りに案内する(1枚目の写真、映像はコンテナの中から走ってくる4人を捉えたもの)。仲間は3人を大急ぎで中に入れると、「幸運と良い旅を」と言ってコンテナをロックする。中は真っ暗。父がライターを点ける。母は、「ここに 忘れ去られたら…」と心配する。幸いそれは杞憂に終わり、すぐに大型のフォークリフトが近づいてきて、コンテナをつかむ。中は傾き、母子は壁を手で押さえて体を固定する(2枚目の写真)。最後には、ガントリークレーンでナポリ行きのコンテナ船に積み込まれる(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

コンテナが積み込まれると、待っていた船員がコンテナから3人を出し、もう一人の仲間が、自分の船室に連れて行く。「入って。俺の船室だ。ここなら暖かいし、安全だ〔イタリア語は茶色字。そして、ドアを閉めると、自分のベッドを指し、「ここに、座ってて」。船員はトルコ語を話せないし、一家にはイタリア語は分からない。父は、「あなたは命の恩人だ。閉じ込められるのには慣れてない」と感謝するが、船員は「はいはい〔Va Bene〕」と受け流し、棚に置いてあったペットボトルを見せ、愛らしいアリの頬を撫ぜると(1枚目の写真)、「2日… ナポリ… いる」と片言のトルコ語らしきものを話すと、そのまま船室を出て行く。すごく明るい青年だ。母は船酔い気味。アリが、ベッドの上にかかっているヌード写真付きのカレンダーを見上ると(2枚目の写真)、父はすぐにタオルをかけて隠す(3枚目の写真)。
  
  
  

夜ナポリ港に着いた3人は、タグボートで国内埠頭に密入国。同行した男は、片言のトルコ語で、「ここで、待つ。ミラノ行く、誰か、捜してくる」と言って、トラックを捜しに行く。いつもは無口な父は、「遂にやった。嬉しいか? 新しい生活が始まるぞ」と、気機嫌よく息子に話しかける。次のシーンでは、男が大型トラックの運転手と価格交渉をしている。「100だと? バカこけ! 1人100。3人で300だ」〔2万5千円〕。「200で、どうだ? いいだろ?」。「300だ。妥協は一切しない」〔800キロ弱あるので、それほど高くないが、両替したのが666マルクなので半分なくなることになる〕。男はハイダルに「スイス、高い。300マルク、ある?」と尋ねる(1枚目の写真)。トラックの運転手ラムゼルの初見は、強欲というイメージであまり良くない。3人を乗せてトラックは出発。しばらくはじっとしていたアリだが、ムスっとした顔のラムゼルの顔に細いビニール糸を垂らして遊び始める(2枚目の写真)。最初は、虫かと思って額を叩いたラムゼルだが、嬉しそうに笑ったアリを見て、「この悪戯坊主め」と急に破顔(3枚目の写真)〔スイスドイツ語は青字。母は、「失礼でしょ」と諌めるが、内容を察したラムゼルは、「いいんだ、構わん」と、子供好きなところを見せる。その時、「ミラノ」という道路標示が見える〔まだミラノには着いていないはずなので、「ミラノ ○○キロ」のような表示だろうか?〕。アリは、「父ちゃん、ミラノだ」と嬉しそうに叫ぶ。そこから、アリとラムゼルの変な「会話」が始まる。
  
  
  

そうとも、ミラノだ。俺は、スイスのシャフハウゼン〔ドイツ発音/スイスの最北端のドイツ国境付近の町/私が撮影した1枚目の写真は、10キロ東のシュタイン・アム・ライン。細くなったライン川沿いの木骨ハウスが美しい〕。そして、「お前さんは、トルコのどこから来た?」と訊く。アリ:「トルコから来たよ」。「どこの町なんだ? イスタンブール、アンカラ、イズミール」。地名は理解できたので、父が「マラシュ」と答える。聞き慣れない地名なので、ラムゼルは「マ・マラシ?」と戸惑う。父は「マラシュだよ、マラシュ」と訂正。ラムゼル:「俺は、シャフーゼンだ」(スイス発音)。アリは、「、シャフィーゼ… マラシュ」と片言のドイツ語を真似る(2枚目の写真)。「シャフィーゼじゃなくシャフーゼンだ」。何度もくり返すアリ。2人はすっかり仲良しに。昼食に入ったSAの食堂では、4人でスパゲティを食べる。アリは、初めてなので麺が巧く食べられない。ラムゼルはスプーンを使った正しい食べ方を教え、その次には、麺を1本だけ指でつまんで口に入れ(3枚目の写真、矢印)、後で、チュルチュルと吸い込んで見せる。これには3人とも大喜び(4枚目の写真)。良い人に巡り会えて一家は幸せだった。
  
  
  
  

4人は、外に出ると、有料の写真屋に頼んで、ポラロイドで記念写真を撮ってもらう。アリの一家用に1枚と、ラムゼル用に1枚。ポラロイドなので2回撮らないといけない(1枚目の写真)。アリは、画像が次第にはっきりしてくるのを見て興奮し、写真屋のカメラを借りると、「ラムゼル」と呼んでカメラを向ける。ラムゼルはおどけて舌を出す(2枚目の写真)。これで3枚。写真代の1万5千リラ〔1700円〕は ラムゼルの奢(おご)り。トラックに戻ったラムゼルは、運転しながら家族写真を見せる(3枚目の写真、矢印)。父は、大事に持ってきた子供たちの写真をラムゼルに見せる。ラムゼルは「7人もいる」と驚き、「コンドーム、持ってないのか?」と呆れ、「俺は2人。それで充分」と締めくくる(当然、アリたちには理解できない)。そのうち、アリが、ジェマルから来た絵ハガキを見せ、「これ、イスゥッチュレ〔İsviçre〕」と言う。「イスゥッチュレ? これ、スイスじゃないか。そうか、イスゥッチュレがスイスなんだ〔İsviçreはトルコ語でスイス〕。すると、今度は、アリが「俺、シャフーゼ、君、ショフィネ〔シャフーゼはシャフーゼンのこと、ショフィネは意味不明〕と片言で話しかける。前半は間違いなので、ラムゼルは「違う。俺はスイス、君はマラシュ」と訂正する。アリ:「僕ら3人、スイス〔スイスに行くという意味〕。ラムゼルはわざと外人風に「君たち、スイス?」と訊く〔スイスに行きたいのか?〕。母が、「スイスに行くの」と割り込む。父は、「山の向こうの天国に行く」と付け加える。これはラムゼルには分からなかったが、次の父の片言は理解できた。「俺、スイス、君、スイス。君、スイス、俺、スイス」。「そうか、スイスに行くのか。じゃあ、一緒に行こう」。そして、片言で「君と俺、スイスだ」と付け加える。こうして一行はコモ(Como)駅のわずか4キロ西にあるスイスとの国境に向かう。
  
  
  

しかし、国境は3人の前に厳しく立ちはだかった。トルコからのスイス入国には、短期の観光でもビザは必須。しかも、アリにはパスポート自体がない。今年の7月6日、同じコモの国境を「スーツケースの中に隠れて電車で不法入国」したエリトリア人の男(21)が国境警備隊に拘束された。映画でも、税関吏が「彼らは、入国が認められていない。不法入国させる気か?」とラムゼルを叱る〔入国前の阻止なので、罪にはならない〕。うまくいっていないことを感じ取った3人は、それを不安そうに見ている(1枚目の写真)。税関吏は、「それに、座席に3人以上乗せちゃいかんだろ」とも指摘。ラムゼルは、仕方なく「彼らは、ミラノまで戻らせる。それで、一件落着にしよう」と申し出る。トラックから降りた3人に、ラムゼルは、書いた紙を見せながら「コモの中央駅」と教える。父:「コモ?」。ラムゼルは、「コモ、あっち」と指差す。「次に、ミラノに行く」。そう言うと、ポケットからリラ札を取り出し、「取ってくれ。汽車賃だ。悪いが、これしかできん」と渡す。本当に素晴らしい人物だ。父は、感謝し、「また お会いしたいですね」と付け加える〔くどいようだが、通じてはいない〕。最後に、ラムゼルはアリを抱き上げる。アリは「俺、ショフィネ、君、ショフゼ」と間違いをくり返し、抱きつく。こうして、3人は親切だったラムゼルと別れを告げる(3枚目の写真)。
  
  
  

3人はミラノ中央駅に着く。本来、2人だったら、客船に乗り、ジェノヴァ経由で来るべき場所だった。イスタンブールで渡された紙には、「中央ホールの店の前で、男が来るのを待て」と書いてある(1枚目の写真)。電車が駅に着いたのは12時50分だったが、男が現れたのは夕方薄暗くなってからだった。男は、3人を車に乗せ、工業地帯にある小さな事務所のような場所に連れて行く。そこを実質仕切っている男トゥルクメンは、仲間とカードをしながら、ハイダルに思わぬことを言う。「幾ら必要か教えよう。友人としてだぞ。1.5×3=4.5。4500マルクだ〔38万円〕。マラシュで業者に渡したのが200万リラ〔19万円〕だったので、その倍額。大変な金額だ。次に、腑に落ちない台詞がある。「2200持ってるから、2300足りん」(2枚目の写真)。イスタンブールでは100万リラ〔666マルク〕しか両替していない。ラムゼルに300マルク払ったので残りは366マルク。2200-366=1834マルク〔164万リラ/イスタンブールの交換レートだと275万リラ〕もの大金を、ハイダルはどこで手に入れたのだろう? トゥルクメンは、「どう工面する? これじゃ、2人分にも足らん」と、冷たく言い放つ。「これが全財産だ」。「それだけあれば、故郷に戻るには十分だな」。「戻るなんて、できない」。「パスポートはあるのか?」。ハイダルは2つ取り出す。「売れば足しになる」。その時、トゥルクメンはジェマルのハガキに気付く。「それは?」。「従弟からのハガキだ」。「従弟に用立て頼めないのか?」。「どこにいるかも分からない。あんた、知ってるんじゃないのか?」。かくして、トゥルクメンは翌日までにジェマルのことを調べ、3人は明日またここに来ることになる。駅まで戻されたハイダルは、妻に「ここじゃ、俺たちは用なしか。もし、親爺に見られたら…」と失意のどん底(3枚目の写真)。メリエムは、「希望を失くしたらダメ」と勇気付ける。彼女が次に見つけたのは、イスタンブールまでバスで一緒だった男。男は、3人を見つけると〔深夜なので、他に誰もいない〕、寄って来て、「今晩は」と手を差し出す〔男は正規のルートで到着した〕。そして、「同じ行き先かな? 北だろ」と言い、さらに、「異国にいると、同胞が恋しい」とも。
  
  
  

翌日、3人は、新しくできた仲間と一緒に、再び、怪しげな事務所に。メリエムの金の極細ブレスレットと、金のイヤリングが天秤秤にかけられている(1・2枚目の写真、矢印は金の装飾品)。それでもわずか200マルク〔1万6千円〕にしかならない。頼みの綱のジェマルは、「難民収容施設にいる」という答え。これでは、一銭も貸してもらえない。絶体絶命になった時、昨夜の男が「いいかね」と声をかける。そして、すたすたと近づいてくると、トゥルクメンに不足額全額を渡す。プレゼントしてくれたのか、貸してくれたのかは分からない〔赤の他人なのでプレゼントとは思えないし、ハイダルも控え目に「ありがとう」としか言わないので、貸してくれただけだろう〕。その割に、トゥルクメンは、「素晴らしい。トルコの結束だ。困難にぶつかれば、互いに助け合う」と男を持ち上げる。何れにせよ、4人は、「〔villa〕」に連れて行かれる。しかし、そこは「館」とは裏腹な汚くて狭い廃工場の一室だった。中には、他にも5人ほどのトルコ人がいて足の踏み場もない。疲れたアリはぐっすり寝ている(3枚目の写真)。中に1人、狂信的な男ハシがいて、他のトルコ人から浮いている。ハシは、貴重な飲料水をウドゥ〔清めの水〕に使って手足を洗い総スカンを食うが、逆に残り全員の不信心をあげつらって非難する。翌日、1台のバンが到着し、中には既に4人ほどが乗っているが、そこに「館」にいた全員が押し込められる(計12人)。その際、ハイダルだけがトゥルクメンに呼ばれ、「イスタンブールじゃ迷惑をかけてくれたな」と釘を刺された上で、「仕事を見つけてやった。チョコレート工場で がっぽり稼げるぞ」と言われ、「給料の一部をよこせ」と迫られる。「どのくらい?」。「半分だ」。「家族がいる。それじゃ足りない」。それでも無理矢理サインさせられる。
  
  
  

狭いバンの中では、みんなが陽気に歌う(1枚目の写真)。そのうち、道路は狭い山道にさしかかる。トゥルクメンが運転席から全員に通達する。「みんな、よく聞け。向こうに着いたら、警察の場所を訊くんだ。お前さん達は、申請すれば保護される。逮捕されれば送還される。警察に行ったら『政治亡命』を求めろ。君らは全員、政治難民だ。分かったか?」。そして、終点近くで山岳ガイドのマッシモを拾う。マッシモは、「天気が悪すぎる」と助手に話しかける。「マッシモ、心配するな。彼らは難民じゃない。田舎の人間だ」。「かもしれんが、それで天気が変わるわけじゃない」。マッシモが乗り込もうとすると、突然バンのスライドドアが開き、アリが吐く(2枚目の写真、矢印)。最後は道が曲がりくねっていたので、酔ったのだ。それを見たマッシモは、車を降りると、アリの頭を優しく撫で、「待ってな、坊や〔Aspetta, figlio〕」と言うと、葉のついた枝を取り出し、「ごらん〔Guarda〕」と、差し出す(3枚目の写真、矢印)。アリが枝を受け取ると、それを咥えるように指示する。酔った時のまじないか? アリは、これを契機に、マッシモが好きになる。
  
  
  

バンは、登山口になっている廃村跡のような場所に着く。そこで、半ば雲に隠れたアルプスを見たマッシモは、助手に向かって、「めちゃだ。自殺行為だぞ。こんな大量の荷物。俺は行かん」と言い出す。「どういうつもりだ?」。「悪いのは天気だ。俺のせいじゃない」。そう言うと、さっさと去って行く。助手は、トゥルクメンを呼ぶと、2人がかりでマッシモを羽交い絞めにし、「何があろうと今日 山越えだ。明日には次が来る」と強要する。さらに、「命が惜しいなら、あいつらへの心配は忘れろ」と脅す(すべて、イタリア人の助手)。マッシモが、「だが、天気が…」と言っても、「天気は味方だ。国境の奴らは、部屋でぬくぬくしてるさ」と無責任な対応。そして、「お前が、行きたくないなら、行き方を教えてやれ」と提案。「人数が多すぎる」。「幾つかに分けりゃいい。道を教えろ。ちゃんと行くだろう。羊の群れじゃないんだ」。あまりにもずさんで、トルコ人の安全のことなど全く無視している。トゥルクメンは全員を集めて、ガイドは同行しないと説明する。「なぜ一緒に来ない?」と不満をぶつけられると、「ここまで快適に運んでやったろ? 最後は、自分で歩くんだ」と開き直る(1枚目の写真)。「登ってる間はイタリアだ。下り始めたら、そこがスイスだ。向こうで待ってる。すべて順調なら会えるだろう。問題が起きたら自分で解決しろ」。あまりにもひどいとしか言いようがない。後で示す2万5000分の1の地図を見ても、峠の周辺に登山道は一切ない。そんな危ない場所に、悪天候なのに放り出すとは無責任の極み〔ここで、再びクレーム。トゥルクメンは、バンの中では、「スイスに入ったら→警察に出頭し→難民申請をしろ」と説明したが、今回は、「向こうで待っている」と話す。つまり、越境したトルコ人をすぐバンに乗せるつもりだ(実際に、バンでスイス側に行き、待っている)。申請すれば簡単には自由になれないので、話が矛盾している〕。マッシモは、お別れに、持ってきた雨傘をアリにプレゼントする(2枚目の写真、矢印)。そして、一行は、峠を目指し、廃屋の間を登って行く(3枚目の写真、矢印は雨傘、右端は見送るトゥルクメン)。
  
  
  

山岳ガイドの役目を逃げたマッシモに対する制裁は、一行が旅立つとすぐに行われた。殴る蹴るの暴行だ。斜面の上からそれに気付いたアリは(1枚目の写真、矢印はマッシモにもらった小枝)、「父ちゃん!」と叫ぶと、斜面を駆け下りる。アリが下に着いた時には、トゥルクメンと助手は逃げ、マッシモは意識を失って倒れている(2枚目の写真)。アリの後を追って来た父は、「何て奴らだ」と言いつつマッシモの体を起こしてやり、「これなら窒息はしない」と言うので、死んではいないのだろう。先を急ぐので、父は、マッシモを心配するアリを急き立て、仲間を追いかける。その後、彼らが向かうアルプスの山々が映される(3枚目の写真)。
  
  
  

「登山」は、途中までは道もついていて、ピクニック気分でも歩けそうなルートだった。しかし、それが突然、「どっちに行っていいか分からない場所に出る。近くの石には、「赤/白/赤」のスイス式の目印が数ヶ所付いているのだが、それでも、目印が複数あるらしく方向を決められないでいる。その時、勝手なことを言い出したのは、狂信者のハシ。「わしは、こっちに行く」と宣言する。それを聞いた女性が、「ガイドの話、聞かなかったの?」と批判するので、全員が違和感を抱いたことは確か。ハシは、「ここに、ガイドはいない。わしのガイドは、アッラーのみ。好きな方に行く」と自我自尊の独善に走る。狂信者ほどタチの悪いものはない。「俺たちを危険にさらす気か?」「正しいと、どうして分かる?」と2人が反対するが、「なら、ついて来るな!」の一言で、結局、「ハシについて行こう」ということに〔ただ、このルートにも「赤/白/赤」の目印があるので、登山道であることは確か〕。道は急に険しくなり、大量の荷物を抱え、全員が這うように登って行く。一部雪の残る草の斜面に差しかかった時(1枚目の写真)、ハイダルが両手で運んでいた鞄の一方が、手を離れて斜面を下まで滑落する。ハイダルは取りに戻ろうとするが、「鞄は、あきらめろ」という声が上から掛かる。「なぜ、戻るんだ?」。「大事な物が入ってる」。「大事なのは、無事に着くことだ。鞄なんか放っとけ」。こう言われれば、団体行動なので、貴重な鞄もあきらめざるをえない。次のシーンでは、途中でハシがへたばっている。原因は足の痙攣。「こいつは『厄介の種』だって言ったろ」と言われるので、信望はゼロ。ここで面白いのは、それまで、この老人の重い鞄を運んでやっていた男性が、「何が入ってる? 金(きん)の密輸か?」と訊き、ハシが「本だ」と答えた場面。男性は頭にきて、「そんなもんを、俺に運ばせてたのか?」と言うと、「やめろ! この罰当たりめ!」の抗議も無視して、谷に鞄を投げ捨てる。さらに次のシーン。先ほどから相当時間が経ち、辺りは真っ暗になり、月が出ている。そして、一行が歩いているのは雪の斜面の上。厳しい冬山登山だ(2枚目の写真、中央下部に満月が見える)。最後に、一行は尾根を越え、雪の斜面を下る(3枚目の写真、矢印はアリ)。「そこにトンネルがある」。
  
  
  

ここで、スプリューゲン峠付近の地図〔Landeskarte der Schweiz 1:25000, No. 1215, Splügenpass〕を紹介しよう。が峠、その左右に伸びる点線が国境で、上がスイス、下がイタリア〔地図の最下部のから進入〕。地図の中で、破線が幾つかあるが、これが登山道。だから、イタリア側から峠に向かう登山道は1つもないことが分かる。彼らは「道なき道」を歩かざるをえなく、それを承知で案内をやめたガイドの道義的責任は重い。一行がどこでバンを降りたのかは不明だが、恐らく、大きな湖(モンテ・スプルガ湖〔Lago di Monte Spluga〕)の北端近くにあるアルピ・ディ・スレッタ〔Alpi di Suretta〕辺りから斜面を登り、標高2000のラインを峠に向かったと推定される〔直線距離で約2キロ、標高差は200メートル〕。ただ、変なのは、わざわざ峠の国境検問所まで行ったこと。地図を見れば分かるように、道路まで降りなくても、道路の少し上(地図では「右」)を越えれば、誰にも邪魔されずに越境できたはず。次のシーンで、一行は、「トンネル」に避難する。映画ではイタリア側だが、撮影されたのは地図でで示した「道路が膨らんでいる」ように見える区間(スプリューゲン峠トンネル〔Galerie am Splügenpass〕)。だから、現実ではありえない。さらに、映画で国境検問所になっているのは、その上のの山小屋〔Berghus〕。トンネルと山小屋の位置関係は映画と同じだが、ともにスイス国内。最後に、地図の北端のの先には、映画の終盤に出てくるスプリューゲンの町がある〔直線距離で約5キロ、標高差600メートル〕


1枚目の写真が、一行が避難したトンネルの入口(上記地図参照)。2枚目の写真は、同じ地点のグーグルのストリートビュー映像。背景の山の形も完全に一致している〔トンネルの南側坑口〕。トンネルの中で、一行は固まって少しでも寒さを凌ぐ。父は、「もうすぐだ。頑張ったな」とアリを褒め、肩に手を置く(3枚目の写真、まだ小枝を咥えている)。
  
  
  

トンネルの中でも寒いことに変わりはない。一人が、「なあ、ここを出よう。でないと凍えちまう」と言い出す。女性が、「分かれた方が いいわ」と提案。真っ先に手を上げたのはハシ。「ゴールは目前だ。わしは行く」と言い、「わしと一緒に来る者は?」と訊く。結局、以前、ハシの重い鞄を持っていた男が一緒に行くことに。それまでリーダー的存在だった男が、「ハイダルは、女性を連れて左から行け。俺たちは、急な斜面を行く。右からな」と、残りを2つに分ける。ハイダルは、妻とアリと、残り3人の女性を連れて、検問所の間近に迫る(1枚目の写真)。2枚目の写真は検問所。3枚目の写真は、映画で検問所として使われた「峠を少し下った所(上記地図参照)」にある山小屋のグーグルのストリートビュー映像。検問所ではないが、遮断機が付いているので〔なぜ?〕、何もしなくても検問所に早変わりできる。
  
  
  

スイス側から車が1台近づいてくる。遮断機を上げに国境警備員が出て来て、イタリア語で親しげにやりとりする。常連なのだろう。車が去ると、通る車もないので、外につないであった犬を中に入れようとして鎖を外すと、犬は吠えながら走り出す。越境者たちの存在に気付いていたのだ。それを見ていたハイダルたちは慌てて引き返し、バラバラに散る(1枚目の写真)。これは明らかにハイダルのミスで、アリとは一緒だったが、妻のメリエムと別れてしまう。映画は、犬が何を追っているのか、わざと分かりにくく編集している。ハシ(他に1人)と、ハイダルの不足額を払ってくれた男(他に1人)と、バラバラになったハイダル・グループが順次映されるが、犬が本当に追っていたのはハシ1人だった。アリは、吠え声の聞こえない所まで逃げてくると、父に、「母ちゃんは、どこ?」と訊く(2枚目の写真)。そして、母がいないかと、「母ちゃん!」と大声で叫ぶ。それは、露見を恐れた父によって、すぐに制止される。一方、1枚目の写真では、女性4人は2つに別れたように見えたが、実際には、4人が固まって行動していた。しかし、メリエムが足を傷めて歩けなくなり、そこに、ハシとバラバラになったエクレム(ハシの本の鞄を投げ捨てた男)が合流する。犬に追われてトンネル戻ったハシは、そこで犬に飛びかかられ、後を追って来た国境警備員に捕まる(3枚目の写真)。ハシは、教えられた通り「政治亡命」とくり返す〔トゥルクメンはトルコ語で「Siyasi iltica」と言ったのだが、ハシはちゃんとドイツ語で「Politisches Asyl」と話している。いつ教わったのだろう?〕
  
  
  

ハイダルは、「ここで待ってろ。母さんを捜してくる。音を立てるな。動くんじゃないぞ」とアリに言い、1人で出かける。1人になったアリは、小枝を咥えながら、歌を口ずさむ。「♪小鳥が飛んできて、窓の前で待ってたから、窓を開けて 『どうぞ』って入れてあげたんだ」。そして、ポケットからラムゼルのおどけた写真を取り出すと、「ラムゼル、スイス」と言って、自らを励ます。アリが寒さに震えていると、父が1人で戻って来る。「母ちゃん、いた?」。「しーっ」。「寒いよ。凍えそう」。「頭をこすれ。暖かくなる」。「スイスで、ラムゼルに会える?」。映画では、順序が逆転するが、先に母の一行が辿り着いたスプリューゲンの町のホテル〔Hotel Bodenhaus〕の写真を紹介しておこう(2・3枚目の写真)。
  
  
  

エクレムと女性4人が彷徨っていると〔メリエムも歩いているので、骨折ではない〕、いきなりホテルの裏のガラス張りの屋内プールが現れる。中では太った男性が1人泳いでいるが、ガラス1枚隔てた外は、極寒の地獄。エクレムはガラスをドンドン叩いて何事かを叫ぶ。その繰り返しに、泳いでいた男性(ホテルのオーナー)が気付き、5人の前に立つ(1枚目の写真)。女性たちを含め、全員がトルコ語で救助を求めるが、男は「もう閉めた」とくり返すだけで、両者の間に意志の疎通はない。この場面は、トルコ人たちの台詞字幕を意図的に出さないことで、コミュニケーションができないことの怖さを際立たせている〔この場面で一番引っかかるのは、地図のところで書いたように、峠と町とは直線距離で約5キロ、標高差600メートル離れていること。映画では、少し歩いたらプールがあった、という感じだが、実際には、夜の間には到着できないほど遠い〕。さて、次のシーンは、町の警察署。署長が通訳を交えてハシを聴取している。「誰と ここに来た?」。「一人で来た」。署長は、「そんなバカな。どうやって道をみつけた?」と不信感を露にする。ハシの返事は、ある意味では正直。かつて、「わしのガイドは、アッラーのみ」と言ったのを受けて、「アッラーが示された」と言う。署長は、「話にならん」と憤る。その時、ホテルから一報が入る。5人のトルコ人がプールに現れたという連絡だ。ハシが単独でなかったと、これでバレる。「奴は嘘をついた。思ってた通りだ」。さっそくホテルに直行した署長は(1つ前の節の2枚目の写真)、通訳を交えて5人から事情を訊く(2枚目の写真)。この場面にも字幕はない。ただ、後の展開から、他にも6人いて、うち1人は子供だということが伝えられる。夜間の雪の峠で道に迷った場合、凍死する恐れもある。違法入国の取り締まりより人命救助の方が優先する。そこで、警察は、峠に緊急警報を発令し、警備隊の出動を要請する(3枚目の写真)。
  
  
  

父と子は、雪の山中をさ迷う(1枚目の写真)。体力を消耗し、ついていけなくなったアリが転倒する(2枚目の写真)。「父ちゃん」と呼ぶが、1回目は気付かない。2回目で気付いた父は、荷物を放り出してアリに駆け寄る。「もう少しの辛抱だ。すぐそこだ」と励ますと、自分が羽織っていたコートでアリを覆い、「お前は強い子だ。母さんが待ってるぞ」と言って抱き抱える。その時、マッシモからもらった小枝が雪に落ちてどこかにいってしまう。アリを抱えたまま、重い鞄は運べないので、父は大切な鞄を捨てて歩き始める(3枚目の写真、矢印は抱かれたアリ)。
  
  
  

国境警備隊が大々的に救助活動を行う。先ほどの通訳がスピーカーを通してトルコ語で呼びかける。「聞いてくれ。君達の命が危ない。遭難する恐れがある。心配するな。助けたいだけだ。光の方に来なさい」。そして、照明弾も打ち上げられる。ハイダルは、「ここにいるぞ! ここだ! 気付いてくれ! どうして罰を お与えに?」(1枚目の写真)「アリを、お救い下さい!」と、雪の中でどうしていいか分からず、戸惑うばかり。照明弾が再度上がり(2枚目の写真、矢印はアリを抱いたハイダル)、そちらの方に歩いて行くが、あるのは雪と岩ばかり。その時、それまでずっと何も言わなかったアリが、「父ちゃん、ここどこ?」と尋ねる(3枚目の写真)。父は、「すぐ着くからな。頑張れ」と励まし、背負う(それまでは、両手で抱えていた)。ここで場面はホテルに変わり、メリエムがデッキチェアに横になり、女医が傷を手当している。メリエムが、「息子とハルダルは?」と尋ねると、通訳が「まだだが、心配は要らない」と安心させようとする。メリエムは、心配のあまり涙を流す。場面はさらに変わり、同じホテル内のレストラン。署長が、パンを運んできたオーナー(プールに入っていて5人に冷たかった男)に、「彼らの名簿はあるかね?」と尋ねる。オーナーは「あるハズがない。言葉が通じないし、そもそも、客ですらないんだ」と不機嫌に答える。署長:「あいつらを起こして調書を取ろう」。その時、女医が入って来て、「起こすのも、取調べもなしよ」と反対する。「あの人たちを振り回さないで。助けを求めてるのよ。名前や国籍なんか、どうでもいいじゃない」。「どうでもよくはない。どんどん来たら、我々はどうなる?〔現在のヨーロッパで問題視されていることが、30年前にも起きていた〕。「お気に召さなくても、もっと来るわよ」。「難民の波で溺れてしまう」。「泳ぎ方を習ったら?〔非常に巧いしっぺ返しだ〕
  
  
  

翌朝。除雪用のトラックが走っていると、行く手に2人の男が現れる(1枚目の写真)。停まった車の運転手に、「警察に連れてって欲しい」と頼む。「警察」という言葉(トルコ語でpolis、ドイツ語でPolizei)が通じて、運転手は2人を乗せる。そして、無線で、「変なのを2人拾った。警察に行きたがってる」と警察に連絡すると、「捜してる連中だ。連れてきてくれ」という返事。一方、ハイダルも吹雪の中でどちらに行こうかと迷っていて(2枚目の写真)、同じトラックの走行音を聞きつける。そして、雪に霞むトラック目がけて、「助けて! 待ってくれ!」と駆けて行くが、気付いてもらえない(3枚目の写真)。そのトラック。もう少し先で、さらに2人のトルコ人を乗せる。行方不明は6名だったので、ハイダルとアリ以外は全員保護されたことになる。
  
  
  

ハイダルは、除雪した道路まで降りてきた。少し先を、除雪中の車が去って行く。ハイダルは、必死に、「助けて! 助けてくれ! 頼む! 息子を助けてくれ!」と叫ぶが、後方なので気付いてもらえない(1枚目の写真)。ハイダルは、応答のなくなった息子を雪の上に横たえると、体や顔を何度も擦って温めようとする(2枚目の写真)。そのうち、幸いにも、除雪した道を赤い乗用車が走ってきた(3枚目の写真)。乗用車を運転していた親切な男性は、2人を助手席に入れると、医者に直行する。
  
  
  

アリは個人医に連れて行かれ(1枚目の写真)、医者は、アリの様子を見て父を診察室から出す。この時、2人を連れてきてくれた男性の態度は心を打つ。医師の毛布を借りると、薄着のハイダルを毛布で覆い、手を握り合ってずっと付き添ってくれたのだ。先に登場した署長の、いくら職務とはいえ、冷淡な態度とは大違いだ。そこに、医者から連絡を受けた警察が通訳とともに入って来る。通訳は、「見つかってよかった。この人たちは、あなたに幾つか質問したいそうです」と話しかける。しかし、アリのことが心配でたまらないハイダルは、「息子はどうなる? 息子のそばにいる」と同行を拒否する。この通訳は、同胞に親切な人間なのだが、この時は、警察の命令を遵守しているのか、「心配ない。医者がいる」「少し質問するだけだ」と、「行かせる」ことに傾注する。そして、ハイダルは体を張って抵抗する。そこで、通訳は 仕方なく、「息子さんは死んだ」と打ち明ける〔このシーンは、どうしても違和感が残る。いくら、あの冷たい署長でも、下らない調書を取る前に、まず死亡したことを知らせるのが「人の道」だと思うのだが…〕。ハイダルは呆然として医者の後に付いて行き、ベッドに横たえられた息子の前にしゃがみ込むと、手にキスをし、端正な顔を手で覆い(2枚目の写真)、そのまま自分の顔を押し付けるように抱いて泣き崩れる(3枚目の写真)。
  
  
  

スプリューゲンの警察署で、ハイダルが背広を着た男の前に座らされている。先ほどの死別のシーンの直後なので、ハイダルの表情は空ろだ。男は署長ではなく、より上位の人物だろう。持ち物検査で見つかった従弟の絵ハガキを、通訳がドイツ語で読み上げる。男は、ハイダルが持っていたラムゼルのポラロイド写真2枚を見て、「これが従弟か? トルコ人に見える」と訊く。通訳が2度質問をくり返すと、ようやくハイダルが首を横に振る。通訳:「違います。誰でも、トルコ人に見えます」。男は、「悪いが、彼には保護房に入ってもらう」と通訳に話す。ハイダルに同情的な通訳は、「罪状は何です?」と質問する。「違法に越境した上に、息子を死なせた責任もある。事実が解明されるまで拘留する」。「疲労と低体温症の診断では不十分ですか?」。「ダメだ」。「ここが、どんなに寒いか知らなかったんです」。「いつも 日が射すとは限らない。それに、解明したい事実関係がある」「是非 知りたいのは。誰に、どうやって、連れて来られたか、だ」。この質問を通訳がハイダルに伝える〔正確にトルコ語でどう言ったのかは分からない。英語字幕「What made you come here?」とフランス語字幕「Qu'est-ce qui t'a amené ici?」は同じ、イタリア語字幕「Chi e cosa ti hanno portato qui?」は、男の言葉に近い。トルコ語で唯一聞き取れた言葉は「kimin getirdiğini」。これは「who brought」に相当し、英語とフランス語字幕と矛盾する。だから、何が正しいかは分からない〕。重要なのはハイダルの答え。「希望〔Umut〕」。すごく象徴的な答えだが、「誰」の返事にはなっていない。その後ハイダルは、拘留される前に、ホテルで治療中のメリエムに会うことを許される。息子の死を聞かされたメリエムの絶叫は、観る者の心に突き刺さる(1枚目の写真)。その後、ハイダルと、最初に捕まったハシの2人は、スプリューゲンから離れた場所にある施設の独房に収監される(2枚目の写真)。あの日、その施設を、ラムゼルと通訳が訪れた。ラムゼルは、トルコ語で「今日は〔Merhaba〕」と言って、接見室のガラスの向こう側に座る。そして、通訳に、「伝えて欲しい、深甚の哀悼を。お気の毒です、と」と言う(3枚目の写真)。そして、ラムゼルは、最も知りたかったことを訊く。「あの子は、どうなるんです?」。通訳を介した返事は、「アリは、家に埋葬します。そうすれば、私達に力が与えられ、未来に希望が持てます」。「では、こう伝えて下さい。私も葬儀に出たい… そして、何か… ご支援ができないか、と」。この暖かい申し出に対し、ハイダルは、「ラムゼル、あなたと 友達になりたかった」と答え(通訳の言葉)、うなだれる。
  
  
  

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